いつか、推しが「若手俳優」ではなくなる時に。

若手俳優」という言葉、どんな意味で使っていますか?

なんとなくの共通認識はあると思います。

・10~20代ぐらいの年齢で

・男性で

2.5次元舞台や、2.5次元舞台に出ている俳優が多く出ている舞台に出ていて

・世間的な知名度があまりない

そういう俳優さんが「若手俳優」と呼びならわされている気がします。

私の推しも間違いなくその「若手俳優」です。

 

その性質上、「若手俳優」はいつか「若手俳優」ではなくなる時が来ます。

時々ふっと推しがそうなった時のことを考えます。

 

 

①引退

食べていける俳優・生活していける俳優の枠の椅子取りゲームは苛烈です。

全ての若手俳優がそこで勝てるわけじゃない。

若いうちからお仕事をしているうちに芸能界とは違うところに夢を見つける人もいます。

だから引退する俳優は寂しいし悲しいけど、必ずいる。

そうなると彼らは「俳優」ではなくなるのだから当然「若手俳優」ではなくなる。

1番考えたくないパターンですね。

幸いにして私の推しは10年後もその先もずっとずっと俳優でいると断言してくれていますが、何があるか分からないのが人生です。可能性はゼロじゃない。

もしそうなったらどうするのだろう。どうもできない。

最後の作品を絶対に後悔しないように見届けて、思い出を抱いていくしかない。

「帰ってきて」「待ってます」とは言えない。決断してきたことを応援してきたのだから、最後だけは認められないとか見苦しいことはしたくない。

与えてもらった喜びを楽しさを感謝して、綺麗にその姿をただ見送れたらいい。

 

 

②加齢

もうちょっとソフトな言い回しにしたい。

若手俳優」は「若手」だから80歳の「若手俳優」は存在しない、たぶん。

40歳でもたぶんいない。たぶん。

テニミュ初期世代はもうアラフォーもいるけれど、同じ作品に出ていても、さすがに「若手俳優」に括られてはいないと思う。感覚として。

じゃあ35歳はどうだろう。30歳は。

23歳の時に「若手俳優」だった人のことは、なんとなく、32歳でも「若手俳優」として語ってしまう気がする。

それでもいつか俳優を続けていれば「若手」は取れてしまうはずです。

その日までの時間ずっと推しの演技を追いかけ続けていたいですね。

 

 

③フィールドが変わる/売れる

さて本題です。

同じ作品で同じ役を演じた同じ学年に生まれた3人、城田優南圭介和田琢磨

条件をある程度揃えたかっただけなので、人選に特に他意はありません。

あなたにとって、今、「若手俳優」と呼べそうなのは誰ですか?3年前なら?5年前なら?

 

仕事の比重が映像に大きく傾くとどうやら「若手俳優」は「若手俳優」ではなくなるようです。もしくは「若手俳優」という言葉の持つ意味が単純に若い俳優になる。

出演する舞台を知って劇場が分からない時に(AiiAかな?)の可能性がなくなっても「若手俳優」ではなくなるような気がします。

これがフィールドが変わる、ということだと定義します。

売れる、は説明不要ですね。

 

1人の俳優のファンとして、これが私が1番嬉しい「若手俳優」ではなくなる道です。

そして私は推しが遠くない未来、2~3年の内に、そうなると信じています。

なるだろうでもなって欲しいでもなくて、なる。

そうです、ファンの欲目です。

 

若手俳優らしい仕事というのがあると思います。接触イベとかバスツアーとか?

アイドル売りっぽいやつ。それもそのうちなくなるんだろうなぁ。

役者である推しが好きなのに、アイドルのように振る舞わされてる姿を見るのは(本人が満更でないにしろ)あんまり好きじゃないです。でも本人としてたくさん笑う姿も、自分の言葉そのままで思いを伝えてもらうのも好きだから、イベには行く。

うわぁ接触久しぶりだぁ緊張するぅって言いたい!めっちゃ言いたい!!

 

1年前と比べても推しは明らかに売れました。まだまだだけど。

色んな事がこなれてきたなって思います。あぶなっかしいけど。

そうして推しはこれからきっとたくさんたくさんファンを増やして、

たくさんたくさん経験値を詰んで、

間違いなく「俳優」になっていくんだと思います。

 

そうなったときに私は何を思うのだろう。「寂しい」は嫌だな。

若手俳優」らしい推しを見られるのは今だけ。だったら今を全力で享受したい。

 

いつか推しが「若手俳優」ではなくなる時に、

いつか推しが「俳優」になった時に、

それを喜べる自分になるために、一切の後悔のない日々を。

 

 

 

 

あぁ今日も推しが最高。