舞台「クジラの子らは砂上に歌う」再演 東京

先に言っておきます。

泣いた!とか感動した!みたいな人はブラウザバックまたはタブを閉じて下さい。

これ書いてる人は感受性が死んでるからだいたいいつも昼公演は「おなかすいたなぁ」って思ってるし、夜公演は「おなかいっぱいでねむいなぁ」って思ってる。それでも観劇オタクをしてるのはたまにそんなこと1度も考えさせないアタリに出会えるから。

 

・初演は見てない ・アニメも見てない

・原作は最新話まで一通りきちんと読んでるし、わりと好き

・推しが出ている ・東京で3回見て大阪でもまだ見る予定

・でも不満めっちゃある

 

再演が発表になった時点であまりに露骨なキャスト変更が話題になりましたね。みんないい仕事をして満席にしたと思います。だから身内の仲良し公演やってるようなクオリティにしかできなかった制作・製作陣には腹立つ。ずっと大切にしてきた推しが1つの作品のために、その作品に出た俳優としてただ消費されるのを見ることしか出来ないのはつらいよ。

 

再演とはいえ明らかに稽古足りてない。時間と回数でしか補えないものはある。

マッピング?映像?とそれを映すべき場所がズレるの、結局ずっと修正されないままだったな。

サイミアを表現しているんだろうなんか主張の激しい(演出の問題)女性陣が殺陣のスピード感・緊迫感を奪っていく。

メインキャスト勢の芝居は回を重ねるごとによくなっていったと思うから、もう1週間、稽古期間があったらなぁ。広州から帰ってきて、稽古開始まで結構時間あったよなぁ。

 場面を、世界をぶちこわすサブキャストのアドリブを誰も止められない。

原作4巻までであまり出番のないキャラにアンサンブルを充てるのは仕方ないけど、あまりにも芝居がアレ(婉曲表現)。これが1番キツい。

 

それにしたって、

こんなチケットの売り方したんだから、客がどうして劇場に来ているのかわかってるよね?

 

officeENDLESSに期待したお前が悪いと言われればそれまでです。

いや、期待はしてなかったんですけど、もうちょっと値段相応のものが見たかっただけです。手数料まで考えれば同じ値段で大劇場でポーの一族見られるのに。

 客は身内の劇団のお芝居を見に来たわけじゃないんですよ。

キャストがスタッフ兼ねてるのは美談でもなんでもないから。むしろダメ要素だから。

ドヤァすんな。

 

そもそもこんなこという脚本・演出家の元に推しを送り出したくはなかった。

 大人の事情キャス変なことくらいみんな分かってるのにイチイチ言葉にするな。

 

装置は非常にシンプル。傾斜と高さがキツめの八百屋舞台。上手く使われてたと思う。

この上で殺陣やるのは確かに脚にキそう。

照明は綺麗。あんまり乾燥してなさそうだけど。

音楽は好き。でも芝居の裏で歌詞のある曲ってやっぱり邪魔だ。エンドレスいつもこんなんなんでしょ?

 

脚本は、原作片手に殴り合いしたいくらい。

忙しい人のためのクジ砂になるのも、目立たないキャラがカットされるのも、メインキャストにした手前出番増やさなければいけないのもわかるけど。

ここでオルカとチャクロ・オウニ出会っちゃったら問題ない?11巻収録分読んだ?

気力体力使い果たしたオウニを1回起こさないとストーリー進められなくなるのも、ニビとオウニの1対1の関係になりきれないのも納まり悪くない?

何がどうしてスキロス沈没に追い込めた?分かりにくくない?

細かいのかもしれないけど指組って原作でひらがなで書いてあるときは「ゆびくみ」って濁ってない気がするんだけど。

オリジナルの場面いらなくない?入れてポエムやら思想やらまき散らすより、きちんと原作と矛盾しないものが見たい。

島・村・国・船が同じものを指しているってちゃんと伝わってる?

2時間にまとめるにはある程度仕方ないのはわかる。わかるけどこの辺は気になる。

再構成されたものとして楽しめればいいんだけど、その再構成されたものを楽しむためには、それが原典と同じくらいかそれ以上にまとまっていないと無理だ。あっちこっちとっ散らかったまま、要素だけ抜き出して繋げたんじゃ気が散って仕方がない。

 

そんな感じでスタッフ側にぐったりげんなりしたりもしたけれど、メインキャスト陣はみんな割と褒めたい感じなので褒めたい。軽めに。

 

【チャクロ】

驚異の若作り。14歳かって言われると難しいけど、10代の少年がいた。

前アナは解釈違いだけど、あれは書いた人が悪い。

記録者だから、渦中にいるのに傍観者としての立場も与えられる。ファレナの体内を除けばそんなに主人公らしい行動をしないのに、物語の中で躍動する姿は主人公以外の何物でもない。

スナモドリの最後のあの絵の美しさ。

あれすごいいいもの見た気持ちになる。きれいだった。

 

【リコス】

あみたができる子なの知ってたけど知らなかった。思ってた以上だった。

感情の削られたところから、少しずつ戻ってきて戸惑って受け入れて、そういうリコスの変化がちゃんと伝わってくる。

オリジナルシーンのせいでリコスのキャラがブレてしまうの惜しい。

あと衣装から伸びる手足がのびやかで好き。

なんかよく分からないままにリコスがみんなの希望になるの納得させられるだけのものはあると思う。

 

【スオウ】

脚本にいいように使われて。

ヌース・ファレナ破壊時にその場にいるとか無茶な脚本にされて。

転びっぷりがいい。運動神経悪そうな動きが上手い。

リョダリ相手のぶん回すだけの殺陣の必死さ。

スナモドリで砂かけあってるところとか最高カワイイ。

長老会に抵抗するとこと演説のところ、2つの見せ場は若くて優しくて心が強い人なのがよく表れていて良かったと思います。

逆に言うと「しどころ」がそこしかない。

それでも泥クジラの民が彼に敬愛の情を向ける気持ち、よく分かるよ。

 

【オウニ】

原作どこまで読んでるかと、どの回を見たかで評価真っ二つに分かれそう。表現したいものはきっと、16歳のままならぬ想いを抱えた少年なんだと思う。

ままならないから怒りにしてぶつけてしまう、そのぶつけ方の力の度合いが見た回によって結構違った。大丈夫か?ってくらい怒鳴り散らしてることもあったし、さほど声を荒げない回も。どれもオウニには違いなかったけど。

ニビを失った後の慟哭、別れを拒む頼りない声、小さく振られる首、こちらから見えなくても分かるぐしゃぐしゃの泣き顔。感受性が死んでいても、ここは毎回胸が苦しかった。

むちっとした筋肉のついた二の腕、めっちゃ好き。

 

スオウとオウニの2人は単純にこのキャラに向き合うだけじゃなくて、例のあのキャラを避けていかなければいけないから大変だよね。どんなに避けても重ねられてしまってる感想見るのイラっとする。

 

【オルカ】

背が高くて姿勢がいいからもうそれだけで強そう。

アラフニ見下ろしてるとことか最高じゃない?

原作だとまだ出てきてるってだけの段階だから色んなオリジナル場面が与えられてて難しいなぁと思う。

ヌースの奥から出てきたところ、めっちゃかっこよかったな。

自信にあふれていていっそ清々しい。9巻以降のオルカを見たい。

 

【シュアン】

みんな揃って年下の役をやっている中で一人だけ逆サバで、心配してたのは失礼だった、ごめん。

長い生き物が長い裾翻して長い棒ぶんまわしてるのすごく見栄えがする。かっこいい。

あの細い体でスオウ担ぎ上げてるのちょっと感動する。

まだ飄々としたよく分からない人だったころの団長さん。オウニとやってる時なんか楽しそうだよね。

終幕付近、ラシャ様と会話してる時、すごくいい表情をするので良ければオペラグラスで見てください。

 

【リョダリ】

MVPじゃない?

見ればわかる。ひゃっはーしてるけど、どこか可愛くて、やりすぎるところはない。

リョダリは狂ってるけど狂ってない。

見ればわかる。

出てきたらその存在が気になって仕方がない。見て。

 

【サミ】

ともするとぶりっこになりそうなキャラなのに嫌味なところがひとつもない。

加減が上手い。不快なところがない。

チャクロやスオウがずっとこの後も彼女のことを思っていることが納得できる。

かわいい。

 

【ネリ/エマ 】

普通の少女のようなネリ、長老会の決定後のネリ、そしてエマ。

現実のような女の子も、非現実のような女の子も、たしかにそこにいて。

あとめっちゃ動きがかわいい。

 

 

まだ言いたいことあるっちゃあるけど、ちょっとすっきり。

それでも大阪で見るのを楽しみにしています。

いつか、推しが「若手俳優」ではなくなる時に。

若手俳優」という言葉、どんな意味で使っていますか?

なんとなくの共通認識はあると思います。

・10~20代ぐらいの年齢で

・男性で

2.5次元舞台や、2.5次元舞台に出ている俳優が多く出ている舞台に出ていて

・世間的な知名度があまりない

そういう俳優さんが「若手俳優」と呼びならわされている気がします。

私の推しも間違いなくその「若手俳優」です。

 

その性質上、「若手俳優」はいつか「若手俳優」ではなくなる時が来ます。

時々ふっと推しがそうなった時のことを考えます。

 

 

①引退

食べていける俳優・生活していける俳優の枠の椅子取りゲームは苛烈です。

全ての若手俳優がそこで勝てるわけじゃない。

若いうちからお仕事をしているうちに芸能界とは違うところに夢を見つける人もいます。

だから引退する俳優は寂しいし悲しいけど、必ずいる。

そうなると彼らは「俳優」ではなくなるのだから当然「若手俳優」ではなくなる。

1番考えたくないパターンですね。

幸いにして私の推しは10年後もその先もずっとずっと俳優でいると断言してくれていますが、何があるか分からないのが人生です。可能性はゼロじゃない。

もしそうなったらどうするのだろう。どうもできない。

最後の作品を絶対に後悔しないように見届けて、思い出を抱いていくしかない。

「帰ってきて」「待ってます」とは言えない。決断してきたことを応援してきたのだから、最後だけは認められないとか見苦しいことはしたくない。

与えてもらった喜びを楽しさを感謝して、綺麗にその姿をただ見送れたらいい。

 

 

②加齢

もうちょっとソフトな言い回しにしたい。

若手俳優」は「若手」だから80歳の「若手俳優」は存在しない、たぶん。

40歳でもたぶんいない。たぶん。

テニミュ初期世代はもうアラフォーもいるけれど、同じ作品に出ていても、さすがに「若手俳優」に括られてはいないと思う。感覚として。

じゃあ35歳はどうだろう。30歳は。

23歳の時に「若手俳優」だった人のことは、なんとなく、32歳でも「若手俳優」として語ってしまう気がする。

それでもいつか俳優を続けていれば「若手」は取れてしまうはずです。

その日までの時間ずっと推しの演技を追いかけ続けていたいですね。

 

 

③フィールドが変わる/売れる

さて本題です。

同じ作品で同じ役を演じた同じ学年に生まれた3人、城田優南圭介和田琢磨

条件をある程度揃えたかっただけなので、人選に特に他意はありません。

あなたにとって、今、「若手俳優」と呼べそうなのは誰ですか?3年前なら?5年前なら?

 

仕事の比重が映像に大きく傾くとどうやら「若手俳優」は「若手俳優」ではなくなるようです。もしくは「若手俳優」という言葉の持つ意味が単純に若い俳優になる。

出演する舞台を知って劇場が分からない時に(AiiAかな?)の可能性がなくなっても「若手俳優」ではなくなるような気がします。

これがフィールドが変わる、ということだと定義します。

売れる、は説明不要ですね。

 

1人の俳優のファンとして、これが私が1番嬉しい「若手俳優」ではなくなる道です。

そして私は推しが遠くない未来、2~3年の内に、そうなると信じています。

なるだろうでもなって欲しいでもなくて、なる。

そうです、ファンの欲目です。

 

若手俳優らしい仕事というのがあると思います。接触イベとかバスツアーとか?

アイドル売りっぽいやつ。それもそのうちなくなるんだろうなぁ。

役者である推しが好きなのに、アイドルのように振る舞わされてる姿を見るのは(本人が満更でないにしろ)あんまり好きじゃないです。でも本人としてたくさん笑う姿も、自分の言葉そのままで思いを伝えてもらうのも好きだから、イベには行く。

うわぁ接触久しぶりだぁ緊張するぅって言いたい!めっちゃ言いたい!!

 

1年前と比べても推しは明らかに売れました。まだまだだけど。

色んな事がこなれてきたなって思います。あぶなっかしいけど。

そうして推しはこれからきっとたくさんたくさんファンを増やして、

たくさんたくさん経験値を詰んで、

間違いなく「俳優」になっていくんだと思います。

 

そうなったときに私は何を思うのだろう。「寂しい」は嫌だな。

若手俳優」らしい推しを見られるのは今だけ。だったら今を全力で享受したい。

 

いつか推しが「若手俳優」ではなくなる時に、

いつか推しが「俳優」になった時に、

それを喜べる自分になるために、一切の後悔のない日々を。

 

 

 

 

あぁ今日も推しが最高。