『お仕着せのカーテンコール』不要論

※あくまでも個人の感想です。ご覧になった方の感じ方を否定するものではありません。

 

 

そのダブルカーテンコール、トリプルカーテンコール、本当に観客の要望ですか?

そのスタンディング・オベーション、本当に感情に突き動かされたものですか?

 

 

このタイミングなので「何の舞台の話か」というのは自明のような気もするので、あえて記事内では作品タイトルを書きません。この作品に限った話でもないですし。

 

この土日の大阪公演3公演を観劇しました。

土曜の昼公演、カーテンコールが終わってキャストが全員ハケても客電も点かなければBGMがFOする気配もありません。「あぁ、ダブルまである前提のつくりなのか」と理解して、拍手をそれなりにしながら待ちました。長かったな。「観客に甘えるな」と思いましたがダブルの後はアッサリ客電もつき、BGMもFOしたのでそこまで気にすることもありませんでした。

別に最近始まったことではないからです。カーテンコールがあって、ダブルカーテンコールがあって、座長から「ありがとうございました」とご挨拶がある。なんなら日替わりで出演者から一言コメントがある。絶対にダブルがもらえるという甘ったれた考えは嫌いですが、もうこの流れはお約束です。1回のカーテンコールで客電がつくことも、退出を促すアナウンスが流れることも、むしろ珍しくなりました。

 

夜公演、ダブルが終わっても客電がつきません。昼公演と違ってBGMがFOする気配もない。観客はBGMが鳴っていれば拍手をする生き物なのです。そこに感情はありません。条件反射です。客電がつかなければ帰れないのです。観客にとって客電がつく=終演だからです。緞帳のない公演ならば尚更です。この作品は緞帳を使用しません。ただ待たされる時間が過ぎて、トリプルカーテンコールになりました。座長はトリプルコールへの感謝と喜びを述べますが、客席の私の感情はむしろ冷えていきます。

 

そして大阪千秋楽、やはりダブルコールが終わってもBGMは鳴り続け、客電はつきませんでした。トリプル。「千秋楽」とつく公演だから予感はしていましたが、スタンディングオベーションが起こりました。嬉しそうなキャストの顔を見ながら拍手をしていてもどうしても思ってしまう。「私はいま、何に対して拍手をしているのだろう」

 

 

私だって俳優のファンだから、推しの顔は見たいし、嬉しそうなら嬉しいし。でも、それとこれとは別。

 

ダブルもトリプルも製作側が意図的に作ることができるのです。客電を付けずに、盛り上がるBGMを流しておけばいい。でも、本当にこの作品は、この公演は、それに値するものでしたか?

 

役者やスタッフの熱量や頑張りとは全く別のところで、心から称えたいと思えない舞台はあります。この作品で言えば、次から次へとクソみたいな理由で馬鹿な行動を起こすクズが出てきて、エゴに振り回されて死んでいき、結論は観客が考えてね!というむちゃくちゃな脚本をもとに上演されています。頑張ればいいというものではないけれど、役者は頑張ってる。現場のスタッフも頑張っている。個々人の頑張りは分かる。でも作品の総体として見たときに、これは本当に称えられるべき公演だったのか?

私の答えはNOです。ダブルの時点で「甘えるな」と思いましたが、トリプルの要求には「ふざけんな」となりました。

 

誘導して起こしたトリプルコールは嬉しかったですか?

 

そもそもカーテンコールって誰のためにあるんでしょうか。私は1回目は舞台上からの「見てくれてありがとう」と客席からの賞賛の交換だと思っています。何一つ褒めるところの無い公演はないはずです。この作品だって役者の熱演(すればいいってものでもないですが)には拍手を送りたい。

じゃあ2回目3回目は?私は1回目で称え足りないからもっと場を提供してくれという観客からの要求が引き起こすものだと思います。賞賛と「喜んでくれてありがとう」の交換、でしょうか。

観客はもう十分称えたと思っているのに、もっと褒めてくれって言うの、恥ずかしくないんですか?

 

もうやめましょうよ、そういうの。

 

千秋楽のスタオベも。まず、千秋楽にはスタオベをするものという謎の風習が広まりつつあります。その状況の中で「千秋楽に」「ダブル・トリプルになったから」なんとなく立っていませんか?立ちたかったですか?あなたは今立ち上がってまで何を称えているんですか?

どうしようもなく感情に突き動かされて(千秋楽でもなんでもないのに)立ち上がってしまう作品はあります。ただ千秋楽だからと立つのならば、それは「失礼な甘やかし」ではないでしょうか。このレベルでいいんだ、という慢心を生ませるのではないですか。

 

 

じゃあ拍手しなければいいじゃないか、立たなければいいじゃないか。それはそうなのですが、誘導しておいてそれはないじゃないかと思います。別にあちら側含めて誰に言われたわけでもないですが。

 

 

 

シングルコールで客電がついて、BGMはなく、退出のアナウンスが流れても拍手が鳴りやまない舞台はあります。それだけ観客側の熱量を生んだのです。もし自分たちが作った舞台の「本当の評価」が知りたければ、その『お仕着せのカーテンコール』もうやめませんか。

 

切実に検討を願います。